世界との出会い72(アイロニカルな没入)

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⚫︎アイロニカルな態度に終始している人間関係のあり方、或は「アイロニカルな没入」という概念を安易に批判する人がいるが、そう言う人は、それがどんなものかということさえ理解していなのではないか。この概念は、ある人々には、理解しがたいものだろう。何故なら、没入している人にとっては、そうであるが故に、認識できないし、全く没入していない人にとっては、認識の手掛かりがないから分からない。しかし、事態の両義性が認識できる人は当然いる。生起している事態が的確に分析されることは必要なことである。

世界との出会い71(自由)

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⚫︎「自由でいたければ、貧乏に慣れろ。」
(If you want to remain free, get accustomed to be poor.)
⚫︎「より現実的な言い方をすれば、ある程度自由でいたければ、ある程度貧乏に慣れろ。」(More actually speaking, if yot want to remain free to some extent, get accustomed to be poor to some extent.)
⚫︎徹底的に無駄金を使わないことととても上手く使うことを学ぶべき。(You should learn  not to waste money at all and spend money well.)
⚫︎自由に動けるようにしておくことが一番大事なこと。(What is the most important is to be able to move  free.)






世界との出会い70(東浩紀を読んで)

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⚫︎『弱いつながり』東浩紀幻冬社 2014年)を読んで。⇩

⚫︎旅によって環境を変えることは既知の関係ー人との関係と物との関係(例えば、マトリョーシカ)ーに新しい視点をもたらしてくれる、というのは、特段珍しい考え方ではない。しかし、ネットに繋がれっぱなしで動きの少ない人たちには強調されるべき点なのだろう。著者の実感からのことばは読者の理解を促すのではないだろうか。

⚫︎旅に出ても、検索を続けられるようにネットへの接続は維持するが、人との繋がりは切断する。これも旅の目的を考えたらあたりまえだが、習慣からの脱出はなかなか難しい故に強調も必要だろう。

⚫︎平野啓一郎の「分人化」概念への批判の中

に、分人から分人への切り替えは、しんどいとの言及があるが、この概念が強固なアイデンティティー希求とそれから生まれる苦悩へのアンチテーゼである点も忘れられないのである。アイデンティティー希求と分人もバランスを取り合うべきものではないか。

⚫︎『一般意志 2.0』東浩紀講談社 2011年)を読んで。⇩
⚫︎個人のレベルにおいて、痴漢にその犯罪行為がいかに「高くつく」かを、言葉で語っても、つまり、理性的に説明しても、通じないことが多い。同様に、社会のレベルにおいて、ナショナリズムの熱狂にも、言語的な説明は通じないことは多い。これらの指摘は十分納得できる。
⚫︎P171「フロイトは、無意識はあくまでも制御されるべきものであり、その制御が崩れるからこそ人間は病に陥ると考えていた…。」
⚫︎理性に基づく熟議だけで人々の感情、欲望を制圧することは大変難しい。これは、様々な場面で確認できることである。
⚫︎先端的な情報技術によって可視化された集団的無意識=一般意志2.0を、いわば新しい形式の熟議・話し合いのなかで「揉んでいく」という方向が目指されるべきなのだろう。
⚫︎感情は決して軽視できない。しかし理性も決して軽視できない。この本の著者も、熱い感情と意欲をもってこの本を書き進めたとは言え、人々にその思いを伝えるのは、理性による言語の巧みな行使によるところが大きいと考えられるからである。両者に細心の注意を払いつつ、いかに理性と感情のバランスを取っていくが、問われている。

世界との出会い69(三つの驚異的存在者)

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⚫︎人間の世界に存在する最も驚くべき存在者は、

①宇宙(universe

②生命(life)

③言語(language)

である。

⚫︎これら三つのカテゴリーは、個物ではない、普遍的存在者である。宇宙そのものも、生命そのものも、言語そのものも、それ自体としては存在しない。

⚫︎あるのは、星雲や恒星や惑星や小惑星など、様々な種類の動植物など、人々の間を行き交う意味に溢れた音声や文字やテキストなどである。

⚫︎これら三つには、包含関係が考えられる。宇宙が生命を含み、生命は言語を含む。言語は生命の中で生まれ、生命は宇宙の中で生まれた。これら三つに共通することは、全てが、 目が眩むほど複雑であると同時に目を瞠るほど美しく多様であるということである。

⚫︎時間的には、宇宙が最も古く、その時間経過の中で生命が生まれ、更に生命が進化する中で、言語が生まれた。

⚫︎これら三つは、その起源を考えても、その発生をはっきり目撃することができないという意味で、謎である。これらの驚くべき存在者は奇跡であり、そうであるが故に、哲学的探究と科学的探究の最も深い動機となっている。

⚫︎脳や意識や身体もこの奇跡的存在者の中に加えてよいかもしれない。これらもまた驚異的なものである。


世界との出会い68(ポール・マッカートニー)

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⚫︎ポール・マッカートニーの東京ドームライブは、ビートルズウィングス、NEWからのいつもの楽しい定番曲が目白押しだったが、ここ数年のライブでは演奏されてない曲で印象的だったのは、アコースティックギターを持ってのYou won't see me。ポールの曲らしい明るい、爽やかなメロディー。これが聴けたのもよかった。この曲を作るきっかけのようなことを語ってから歌い始めた。

リンゴが歌うBoysも初お目見得で楽しかった。元気なポールはみんなに元気をくれる。

世界との出会い67(オノマトペ)

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⚫︎日本人は、犬が吠えるのをワンワンと言うが、実際に聞こえてくる犬の吠え声は、日本語にはならない音声(✖️🔵△◎?!)である。この音声は、日本語の中では、慣例的にワンワンという、オノマトペとして犬が吠える音声を表す。英語ではbow-wowのように別の音声が割り当てられる。何か他のものを指示することはないという意味で、自己言及的な記号である。

⚫︎英語及びその他の言語にも、オノマトペは存在するが、日本語は特に多い印象がある。擬音語・擬態語があるが、韻を踏んだり繰り返す表現がいきいきとした表現を生み出す。

「雨がしとしと降る」、「猫がにゃーにゃー鳴く」など。


世界との出会い66(総合的含意)

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⚫︎スペルベルとウィルソンの『関連性理論』

というコミュニケーションの理論の中に、分析的含意と総合的含意という概念が出てくる。分析的と総合的という区分はグライスを通ってカントに由来するものだが、分析的判断は、本来、ある概念の中に元々含まれるている意味を取り出す作業であり、総合的判断は、ある概念の中に含まれるといるというよりも、概念を他の概念と統合して生み出す作業である。コミュニケーションにおいても、新たな外延を生まない分析的含意と、以前は存在しなかった判断を含む総合的含意が存在する。コミュニケーションにおいては、発話の当事者同士に背景知識が必要だが、そのような知識は、チャンクと呼ばれる塊のかたちで、記憶装置の中に保存されているという。

チャンク同士が結合した時に総合的含意が生まれることになるが、それはその時に捉えないと二度と出会えないかもしれない。簡単に言い換えると、どんな小さな閃きでも、メモっておいた方がいいと言うことだろう。もう二度と出会えないかもしれないから。

⚫︎ところで、人工知能は、トートロジー的な分析的判断ではなく、創造的な総合的判断ができるのだろうか。それとも、この超優秀なマシンからすれば、人間が、「創造的」と考えることも、陳腐な戯言に過ぎないのだろうか。