世界との出会い70(東浩紀を読んで)

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⚫︎『弱いつながり』東浩紀幻冬社 2014年)を読んで。⇩

⚫︎旅によって環境を変えることは既知の関係ー人との関係と物との関係(例えば、マトリョーシカ)ーに新しい視点をもたらしてくれる、というのは、特段珍しい考え方ではない。しかし、ネットに繋がれっぱなしで動きの少ない人たちには強調されるべき点なのだろう。著者の実感からのことばは読者の理解を促すのではないだろうか。

⚫︎旅に出ても、検索を続けられるようにネットへの接続は維持するが、人との繋がりは切断する。これも旅の目的を考えたらあたりまえだが、習慣からの脱出はなかなか難しい故に強調も必要だろう。

⚫︎平野啓一郎の「分人化」概念への批判の中

に、分人から分人への切り替えは、しんどいとの言及があるが、この概念が強固なアイデンティティー希求とそれから生まれる苦悩へのアンチテーゼである点も忘れられないのである。アイデンティティー希求と分人もバランスを取り合うべきものではないか。

⚫︎『一般意志 2.0』東浩紀講談社 2011年)を読んで。⇩
⚫︎個人のレベルにおいて、痴漢にその犯罪行為がいかに「高くつく」かを、言葉で語っても、つまり、理性的に説明しても、通じないことが多い。同様に、社会のレベルにおいて、ナショナリズムの熱狂にも、言語的な説明は通じないことは多い。これらの指摘は十分納得できる。
⚫︎P171「フロイトは、無意識はあくまでも制御されるべきものであり、その制御が崩れるからこそ人間は病に陥ると考えていた…。」
⚫︎理性に基づく熟議だけで人々の感情、欲望を制圧することは大変難しい。これは、様々な場面で確認できることである。
⚫︎先端的な情報技術によって可視化された集団的無意識=一般意志2.0を、いわば新しい形式の熟議・話し合いのなかで「揉んでいく」という方向が目指されるべきなのだろう。
⚫︎感情は決して軽視できない。しかし理性も決して軽視できない。この本の著者も、熱い感情と意欲をもってこの本を書き進めたとは言え、人々にその思いを伝えるのは、理性による言語の巧みな行使によるところが大きいと考えられるからである。両者に細心の注意を払いつつ、いかに理性と感情のバランスを取っていくが、問われている。