世界との出会い81(国会議員)

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⚫︎とある国の最高学府を卒業し、その国の友好国のトップレベルの大学に留学した後、自国の立法府の議員になった女性が、自らの政策秘書に、罵詈雑言を浴びせているスキャンダルが、取り沙汰されている。人間だから、怒りを剥き出しにして、相手に言葉をぶつけることもあるだろう。その点は、全く理解できない訳ではない。

⚫︎一番気になるのは、彼女が、専門的な学習なり、研究なりの過程で何を学んで来たのかということだ。彼女の学びには、実質というものがあったのだろうか。例えば、民主主義というのは、先ずは、冷静な言語の行使によって、困難な問題を解決していこうとするシステムだということや相手の行為に対する説明を求め、それによってその行為の是非を判断することなどを、きちんと理解していたのだろうか。彼女が求めていたのは、学歴のブランド性だけだったのではないか。詰り、「私は優秀なのよ」というラベル、形式だけが欲しかったのではないか。

⚫︎もし、市民・国民がこの議員のところに、何かの陳情に来た時に、彼女は怒鳴りつけたのだろうか。言葉を使って、つまり、議論や討議を通して、問題解決を図ろうとするのが、政治のプロであろう。そう言う意味で、この議員は資質を欠いていると言わざるを得ない。彼女の優秀さとは一体何なのだろう。???



世界との出会い80(sonic peace)

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⚫︎『音速平和』水無田気流 思潮社 2008年。
⭕️Chinpusanokintarouameniwasabiosankyu⚪︎

世界との出会い79(蔡英文)

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⚫︎『蔡英文自伝』(白水社 2017年)を読んで。

⚫︎国を思うということにも、過去指向的な気持ちと未来指向的な気持ちがあるように思われる。過去から引き継がれた伝統や達成されたものを重んじ、そこへ回帰しようとする運動と現在の状況を見極めて、それに将来適応していこうとする運動である。とある国の学校法人の理事長などが見せる態度が前者の典型であろう。この自伝の著書は、私には、後者の典型のように思われる。なぜなら、後者は、公正・公共性を実現するためにバランス感覚を強調し、相対立する政治的・経済的課題を解決しようと奮闘しているからである。そして、相対立するもののバランス無くして、建設的・生産的未来はないからである。

⚫︎蔡英文は、自らの内面的多様性を自覚しながら、学者、官僚、政治家という経歴を生きてきた人物である。彼女の職業的人生の変遷は、理性と忍耐によって勝ち取られたもののように見える。彼女の人生の記録を読むと、私たちの国ではとっくに消滅してしまった「大きな物語」がまだ生きているように思われる。彼女の経歴が鍛えと成長によってもたらされたものであることがよくわかるのである。

⚫︎自己をモニターすることによって、評価と反省を公正に行う。これは、大変難しいことだが、政治的リーダーには、不可欠の要件である。蔡英文は、このような資質を持ち合わせた稀有な政治家のように見える。私たちの国にこのような政治家は、大変少なくなったのではないだろうか。蔡英文の、修行者のような、生き方は、我々の国のもう絶滅してしまった「武士(もののふ)」という種族を思い出させる。


世界との出会い78(宗教)

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⚫︎多くの場合、ある宗教への信仰が全うなら、その信は強固なものであろう。強固で厳密であればあるほど、それへのアンチが必ず出てくる。というのも、宗教への信仰は絶対的であるが、世界は必ず相対的であるから。

世界との出会い77(べくしんすきー)

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⭕️うぇぶじょうで、えすえふもののさいとなどをみているとおもしろいものをみつける。たとえば、そうさくしょーとえすえふのばいおじぇねしす。また、たとえば、すこーん。すこーんは、だいいちいんしょうは、ぎーがーのゆうきてきだーくわーるどだが、それとはびみょうなさいももっている。すこーんは、げーむだそうで、げーむじっこうしゃが、まるでたいないのようなくうかんをたんさくしていくぷろせすをたのしむけいしきだ。

⭕️このすこーんのいようなくうかんせかいのぞうけいは、ぽーらんどのがか、べくしんすきーのそうさくがきそになっている。このがかのしゅようなすたいるは、えいが、えいりあんでゆうめいな、すいすのがかぎーがーのそれときょうつうてんをもっている。

ひとつ、ゆうきてきびょうがほうしき。

ふたつ、ぶきみなあんこくてきせかい。

みっつ、にちじょうがせいのせつだんによるきょうがくてきせかいのそうしゅつ。

よっつ、ぎじたいないてきこうせいたんいのりつどうてきはんぷく。

⭕️べくしんすきーやぎーがーのえがくせかいは、いっけんちゅうしょうかいがのようにみえるが、そうではなさそうだ。これににたじょうけいは、ちょうびしてきせかい(たとえばちょうのひだ)や、ちょうきょしてきせかい(たとえばあるしゅのせいうん)にみいだせるようにかんじられるからである。むしろ、かれらのさくひんがていじしているのは、われわれが、しゅうかんてきにめにしているせかいではなくて、そのせかいをこんていからささえていたり、そのせかいによってつくりあげられているさらにすけーるのおおきなせかいなのである。つまりは、わたしたちのみなれたせかい、わたしたちのちんぶなしかくようしきのはかいなのである。これは、げいじゅつというえいいのまったきはたらきであろう。



世界との出会い76(去る者は日々に疎し)

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⚫︎『九十歳。何がめでたい』佐藤愛子小学館 2017年)を読む。便所(➡︎トイレ)の話などは本当に面白い。「運が悪かった」と考えることは、他者を責めすぎず、自分も前向きに生きて行く知恵だということを教えてくれる。今、この種の発想があまりに欠けているのではないかと思う。

⚫︎Out of sight, out of mind.という英語の諺がある。視界から外れると、心からも忘れ去られていく。「去る者は日々に疎し」という日本語の諺が訳として当てられていることが多い。

⚫︎佐藤愛子のエッセイを読んでいると、このことわざが意識される。90歳を越えた作家の体験や思いに、しばしばなるほどと頷かされるのは、必死に生きて来た彼女の人生の実感に基づくものであるからだろう。しかし、今の若い人たちはどのように受け止めるのだろう。不便な生活も、人間を鍛えてくれるものだと考えられたら、成長の糧と捉えることができるだろう。戦時下の極限状況に近い状態を生きた人々からすると、なぜ、衣食住足りた昨今の生活に、不満の声しか上がらないのかと、憤慨したくもなるだろう(もちろん、問題は、山積みなのだが)。憤慨しながらでもいいいいから、往時の厳しい状況を生きた経験を語り継いで欲しい。

⚫︎戦争でも、震災でも、原発事故でも、喉元過ぎれば、忘れるのが人間である(昨今の憲法論議などは改めてそのことを実感させる)。二度と経験したくないことを経験しないためには、注意を向け続けることを忘れてはならないと思う。




世界との出会い75(ポピュリズム)

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⚫︎ポピュリズムとは何か』水島治郎 (中公新書 2016年)を読む。新書の平均的な頁数内で、かなり詳しく世界のポピュリズム的特性を持つ政党を分析した本。

⚫︎南米でも、西欧諸国でも、米国でも、日本でも、カリスマ的な指導者に率いられたポピュリズム政党が、「置き去りにされた人々」、「忘れ去られた人々」の不満や批判や思いを拾い上げて勢力を拡大している。

⚫︎世界の多くの場所で、よく似たことが起こっているのには、共通の原因が考えられる。原因は、特殊的なものと普遍的なものがあるだろう。特殊的なものとは、いわゆる政治的・経済的なグローバル化である。これは、空間的には、世界規模であるとは言え、21世紀という時代に限定されている故に、特殊的である。普遍的原因というのは、人間の、取り分け、「置き去りにされた人々」の、言わば、生物(学)的な最低限の諸欲求が満たされていないと言う点である。そして、これら二つの原因は分かちがたく結びついる。簡単に言うと、全ての人間が、「尊厳ある生活」を送れていないという点が大きいのである。

⚫︎ポピュリズム政党は、「忘れ去られた人々」の不満を解消できるのは、自分たちだけだと主張するのだが、移民や異教徒の無条件の排除は、人々を更なる困難に導くのではないかと、懸念される。