世界との出会い76(去る者は日々に疎し)
⚫︎『九十歳。何がめでたい』佐藤愛子 (小学館 2017年)を読む。便所(➡︎トイレ)の話などは本当に面白い。「運が悪かった」と考えることは、他者を責めすぎず、自分も前向きに生きて行く知恵だということを教えてくれる。今、この種の発想があまりに欠けているのではないかと思う。
⚫︎Out of sight, out of mind.という英語の諺がある。視界から外れると、心からも忘れ去られていく。「去る者は日々に疎し」という日本語の諺が訳として当てられていることが多い。
⚫︎佐藤愛子のエッセイを読んでいると、このことわざが意識される。90歳を越えた作家の体験や思いに、しばしばなるほどと頷かされるのは、必死に生きて来た彼女の人生の実感に基づくものであるからだろう。しかし、今の若い人たちはどのように受け止めるのだろう。不便な生活も、人間を鍛えてくれるものだと考えられたら、成長の糧と捉えることができるだろう。戦時下の極限状況に近い状態を生きた人々からすると、なぜ、衣食住足りた昨今の生活に、不満の声しか上がらないのかと、憤慨したくもなるだろう(もちろん、問題は、山積みなのだが)。憤慨しながらでもいいいいから、往時の厳しい状況を生きた経験を語り継いで欲しい。
⚫︎戦争でも、震災でも、原発事故でも、喉元過ぎれば、忘れるのが人間である(昨今の憲法論議などは改めてそのことを実感させる)。二度と経験したくないことを経験しないためには、注意を向け続けることを忘れてはならないと思う。