世界との出会い69(三つの驚異的存在者)
⚫︎人間の世界に存在する最も驚くべき存在者は、
①宇宙(universe)
②生命(life)
③言語(language)
である。
⚫︎これら三つのカテゴリーは、個物ではない、普遍的存在者である。宇宙そのものも、生命そのものも、言語そのものも、それ自体としては存在しない。
⚫︎あるのは、星雲や恒星や惑星や小惑星など、様々な種類の動植物など、人々の間を行き交う意味に溢れた音声や文字やテキストなどである。
⚫︎これら三つには、包含関係が考えられる。宇宙が生命を含み、生命は言語を含む。言語は生命の中で生まれ、生命は宇宙の中で生まれた。これら三つに共通することは、全てが、 目が眩むほど複雑であると同時に目を瞠るほど美しく多様であるということである。
⚫︎時間的には、宇宙が最も古く、その時間経過の中で生命が生まれ、更に生命が進化する中で、言語が生まれた。
⚫︎これら三つは、その起源を考えても、その発生をはっきり目撃することができないという意味で、謎である。これらの驚くべき存在者は奇跡であり、そうであるが故に、哲学的探究と科学的探究の最も深い動機となっている。
⚫︎脳や意識や身体もこの奇跡的存在者の中に加えてよいかもしれない。これらもまた驚異的なものである。
世界との出会い68(ポール・マッカートニー)
⚫︎ポール・マッカートニーの東京ドームライブは、ビートルズ、ウィングス、NEWからのいつもの楽しい定番曲が目白押しだったが、ここ数年のライブでは演奏されてない曲で印象的だったのは、アコースティックギターを持ってのYou won't see me。ポールの曲らしい明るい、爽やかなメロディー。これが聴けたのもよかった。この曲を作るきっかけのようなことを語ってから歌い始めた。
リンゴが歌うBoysも初お目見得で楽しかった。元気なポールはみんなに元気をくれる。
世界との出会い66(総合的含意)
⚫︎スペルベルとウィルソンの『関連性理論』
というコミュニケーションの理論の中に、分析的含意と総合的含意という概念が出てくる。分析的と総合的という区分はグライスを通ってカントに由来するものだが、分析的判断は、本来、ある概念の中に元々含まれるている意味を取り出す作業であり、総合的判断は、ある概念の中に含まれるといるというよりも、概念を他の概念と統合して生み出す作業である。コミュニケーションにおいても、新たな外延を生まない分析的含意と、以前は存在しなかった判断を含む総合的含意が存在する。コミュニケーションにおいては、発話の当事者同士に背景知識が必要だが、そのような知識は、チャンクと呼ばれる塊のかたちで、記憶装置の中に保存されているという。
チャンク同士が結合した時に総合的含意が生まれることになるが、それはその時に捉えないと二度と出会えないかもしれない。簡単に言い換えると、どんな小さな閃きでも、メモっておいた方がいいと言うことだろう。もう二度と出会えないかもしれないから。
世界との出会い65(言語の学習)
⚫︎言語の学習、言語使用の訓練はいつ何処ででもできる。一日中一言も発しない人はほとんどいないのではないか。人の話を聞き、喋るときや、本や新聞・雑誌を読む時は、誰にも訪れる。その気になれば、4技能を磨くチャンスは、ここそこにある。
世界との出会い63(両義性)
⚫︎曖昧なものと、曖昧でないものつまりはっきりしたもの とのバランスを取ることが、大切ではないだろうか。現実に起こっていることというのは、概して曖昧なものである。効率を追い求める管理社会においては、はっきりとしたことが優先されがちで、曖昧なものは切り捨てられることが多い。昨今は、
曖昧なものへの耐性も低い。はっきりしていないと気がすまない人も多いのではないだろうか。もちろん、はっきりしていないと困ることもあるが、それが全てではない。両義性へ正当な認識を忘れてはならないと思う。事態の変化の真相は、(白⇄黒)のような比喩で表されるのではなくて、(白⇄薄い灰色⇄灰色⇄濃い灰色⇄黒)のような比喩で表されるのである。